-黒澤作品を好きになれる情報や豆知識が満載!-
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
七人の侍

クランクインの時、黒澤は42歳。これまでの時代劇に不満をもってた黒澤はリアルな時代劇を目指します。
その時代に生き、暮らしてた人間を描きたい。こうして野武士から農民を救う魅力的な侍たちが作り出されました。

当初撮影日数は90日。予算は通常の映画に2倍という規模でした。しかし黒澤はすべてにおいて自分のこだわりを貫き通します。セットから衣装、かつらなど細部にいたるまでリアルさを求めたのです。
黒澤のこだわりにスケジュールはどんどん超過していきます。燃え方が気に入らないと水車小屋を三回作って燃やします。
木村功(きむらいさお)と津島恵子(つしまけいこ)との逢引場面。大量の花は毎日スタッフが新しく埋めました。

一向に撮影が終わらないため会社は2度製作中止を考えます。結局この作品に社運を賭けることになります。
危険な撮影もありました。焼き討ち場面、土屋嘉男(つちやよしお)は顔が火ぶくれで入院することにになります。
5月から始まった撮影も2月になり最後の雨の決戦場面を残すだけとなりました。雨を降らすスタッフ40名。ぬかるみの中、陣頭指揮を執る黒澤。その足の爪は長靴の中で凍傷になりすべて真っ黒になったといいます。

撮影期間11ヶ月。完成時の撮影費は当初の3倍。まさに超大作です。

「七人の侍」は世界の映画人と作品に影響を与えました。黒澤は語ります。
「皆に何かがのりうつったみたいになる事ってあるんだよ」

日本映画の金字塔、それこそが「七人の侍」なのです。
スポンサーサイト
・決戦シーンの撮影に入る前に運悪く大雪となり消防隊に頼んで2週間がかりで大雪を溶かす。
 しかしその結果、アクション映画史上屈指の伝説的な泥まみれの戦闘シーンが生まれた。
・撮り直しの出来ないアジト焼き討ちシーンと雨の戦闘シーンでは8台のカメラを駆使した 世界初の試みマルチカム方式による撮影で迫力あるアクションシーンを生み出す。 (雨の戦闘、どこから撮られているか分からない俳優は迫真の演技をした)
・真冬の2月に撮影された雨の中の戦闘は過酷を極め、黒澤の足の爪は寒さと泥の重みで全て壊死、 畳鎧一枚だけの三船敏郎はガタガタ震えるのを耐えながら走り回り、志村喬は矢が誤って太股に刺さりながらも演技をやり通した。
・音楽は5つの主題がライトモチーフとして用いられ、時にはそれらを組み合わせ楽器編成を変えたりしながら縦横に展開させた。
・平均製作日数1ヶ月の時代に足掛け3年。
・平均製作費2000万円の時代に2億1000万円。
・入場料120円の時代に配収14億円。現在の価値に換算すると380億円。
・見事な戦略による村の要塞化は、後に自衛隊の幹部が黒澤邸を訪れて「誰の指導を受けてあの戦略を考えたのか?」と黒澤に尋ねる。
・75年の完全版リバイバル上映は空前の大ヒットとなり、交番から「テアトル東京への道順を1日何100回も訊かれる」と苦情が出たほどの盛況ぶりとなる。
・ベネチア国際映画祭銀獅子賞、NHK・JSB共催「100万人の映画ファン投票」ベスト1、文藝春秋「日本映画ベスト150」ベスト1、 キネマ旬報選出日本映画史上ベスト1、 Entertainment Weekly Magazine誌の歴代アクション映画ランキング6位、 インターワイヤード「外国の人に勧めたい邦画」2位、IMDBの全映画ランキングベスト250で最高4位。
・イギリス国立映画製作の番組で「七人の侍」が映画監督と学生によって徹底的に研究され数々の映画技法が紹介された。
 (冒頭の太鼓と蹄の音の関連性、勘兵衛の投げた日本刀の意味、菊千代の表情、人物の配置、野武士の手綱さばき、 テーマ曲が流れるタイミング、背景を利用した疾走感、小鳥の囀りのリズムetc)
・勘兵衛が剃髪して拉致された小児を救う話は江戸時代の剣豪の逸話を集めた「本朝武芸小伝」の上泉伊勢守のエピソードから引用
・勝四郎が戸口で薪を振りかざして侍を試す場面は、同じく「本朝武芸小伝」の塚原卜伝のエピソードから引用
・久蔵と浪人の真剣勝負の話は同じく「本朝武芸小伝」の 柳生十兵衛の話から引用
・黒澤明は登場人物に命を吹き込むために七人の侍と100名近い村人の 性格、容姿、癖、家族構成、台詞まで事細かく何十冊もの創作ノートに書き込んでいった。
・脚本作りは創作ノートを軸にまず黒澤明、橋本忍の2人が同じシーンを同時に書き進め 出来上がった2人のシナリオを小国英雄がチェックしていい部分だけを残す。
 そしてまた2人が書いていくといった作業を何十回も繰り返し検討しあいながら40日間旅館に篭り完成させる。
・村探しだけで3ヶ月に及ぶ大ロケハンを決行し、1つの村を撮るために、5ヶ所で別々に撮影を行う事となった。
・戦国時代の家の生活感を出すために板の両面を焼き、鉄ブラシで炭を落としてさらに束子で磨き質感を際立たせた。
・水車小屋を燃やすシーンでは火の勢いに迫力が無いからと6回も水車小屋を建て直す。
・地面を花で埋め尽くすために山つつじの花を植えるがすぐ萎れてしまうため4tトラック15台分もの花を2週間かけて植え続ける。
・百姓の衣装は一旦土に埋め何日かして取り出し、それを軽石で擦って古びた感じを出す。
・本物の百姓のように見せるために100名近い百姓の名前、年齢、家族構成を 細かく指定し撮影の間は家族単位で行動するように命じる。
・真夏に撮影された水車小屋のセット内はパンフォーカスのために使うライトの熱などで摂氏43℃湿度100%にもなる。
・日常生活で衣装のどこが磨り減るかをリアルに再現するために俳優に家では衣装を着て生活するように指示。
・世界で初めて人間が死ぬ瞬間をスローモーションで表現。
・菊千代の斬新なバトルコスチュームはオペラ「プリンス・イゴール」に出てくる韃靼人の衣装からヒントを得る。
・時代劇で初めて、集団同士が戦うアクションを撮った。
・砂埃を舞い上がらせるために戦時中航空機の風洞実験に用いた恐ろしく巨大な扇風機を使用。
・焼き討ちシーンは予想よりも火の勢いが強く、役者やスタッフが逃げる中、土屋嘉男だけは 顔に火傷を負いながらも演技を続け、望遠で撮っていた1台のカメラだけがその姿を捉える。
・「七人の侍」で一番最初に死ぬ平八を演じた千秋実。実際は七人うち一番最後になくなった。マスコミでは「最後の『侍』死す」と書かれた。
・「七人の侍」は2つの流れた企画の末に生まれてきたもの。「侍の一日」「日本剣豪列伝」と二つボツった。(でもちゃんと「七人の侍」に影響している。)
・「七人の侍」と作ろうとした動機。
「日本の時代劇はみんな淡白。 僕は、観客に、鰻丼の上にカツレツを乗せて、そのまた上にハンバーグを乗せて、その上からカレーをぶっかけたようなご馳走を食べさせたかった。」
・ワインスタイン・カンパニーによる「七人の侍」のリメイク企画が進行中。
黒澤明・橋本忍・小国英雄の傑作脚本を、ジャッキー・チェンとジェット・リー共演作「ドラゴン・キングダム」のジョン・フスコが脚色し、敵軍の攻撃が目前に迫ったタイ北部の村が防御のために外国から傭兵軍人を雇うというプロットに変更されている。昨年、チャン・ツィイーやジョージ・クルーニーが出演するという噂話が出たが、今現在、監督はおろか出演者誰一人さえも決まっていない状態だという。
・集団同士が戦う時代劇を初めて撮る。(それまでは1対1 1対複数の戦いが基本だった)
・手塚治虫
「『七人の侍』は公開当時ずいぶん話題になったし、僕なんか一時間くらい映画館に並んで観た。 中盤あたりからさすがに疲れが出てきたが、それでも最後の戦闘シーンはその疲れが吹き飛ぶほど興奮したのを覚えている」
・宮崎駿
「『七人の侍』を観て面白く思えない人間は自分の作品観なくていいです」
・つのだじろう
「わたしは映画監督として、黒澤明は世界第一だと思っている。 中でも『七人の侍』は、不朽の名作中の名作、最高傑作だ!」
・石ノ森章太郎
「高校時代『七人の侍』を観て、これが本当の映画だと感じ、ボクも映画監督になるんだ、 と決心し・・・なぜかマンガ家になってしまったけれど」
・バロン吉元
「小学校から中学にかけてクレージーになるぐらい好きになった作品です」
・ツイ・ハーク
「私は本当に黒澤監督のことを尊敬していますし、『七人の侍』は完璧な作品です。 『セブン・ソード』は黒澤監督に敬意を持って作られた作品だと思って観てもらいたいですね」
・オーランド・ブルーム
「レゴラスをどんなふうに演じるべきか模索していたときに、『七人の侍』を観たんだ。 そして侍のキャラクターから、いつも背筋をシャンと伸ばし、どんな困難にも迅速に対応する反応の早さを学ぶことが出来たよ」
・井上ひさし
「シェイクスピアの作品さえあれば演劇とはどんなものか分かるし、ドストエフスキーの作品さえあれば小説とはどんなものか分かる。 それと同じように『七人の侍』さえあれば映画とはどんなものか分かるのだ」
・藤岡弘
「僕は黒澤明先生の映画が大好きで、『七人の侍』を何十回も観ているんです。 毎回見るたびに感じるものがあるんですよ。何十回見ても自分の年齢とともに、必ずハッとする部分が出てくる。だから未だに見ていますね」
・猫ひろし
「映画館で見たんですけど、やっぱり三船敏郎さんが凄かったです。画面から出てきそうな感じがしました。 農村で家に閉じこもった農民をあぶり出すために消防の鐘を鳴らす場面のテンションとか、獣みたいで好きでした」
・香取慎吾
「北野監督に薦められて観ました。面白かったです。長いんですけど時間の長さも気にしないぐらいに面白くて カッコいいし、ストーリーやカット割りとか今やっていることを五十年も前にやっていたのは凄い」
・国本武春
「役者から構成、長さも含めて、何から何までとてもいい。特に七人のキャラクターに関しては、いかにも日本人らしいなっていう、 無理のないのを作ってると思うんです」
・セルジオ・レオーネ
「さすがミスタークロサワ!僕もいつかは『七人の侍』のような映画を撮りたい」
ジェームズ・コバーン
「私は友人を集め1週間『七人の侍』を観たんだ。あの映画に夢中になってね。
強烈な衝撃を受けた。感動の宝庫だよ。今でも全シーンを覚えているよ」
・フランソワ・トリュフォー
「モノクロ作品では「七人の侍」が文句なしに素晴らしい。 とても官能的な映画だったという強烈な印象が残っています。 『七人の侍』では真に人間の肉体の生々しさを感じました。 いま思うと、アクションより先に、そんな生きた人間の肉体の存在感みたいなものが 先に甦ってくるのです 」

(2ちゃんねるのコピペ)
最初、3ヶ月で終わるはずだった撮影は、延長に延長。
やがて、1年になろうとしてもまだ完成は見えてこないという状況です。

業を煮やしたのは、東宝のオエラ方たち。

何度となく、予算オーバーの製作中止を黒澤監督に言い渡しますが、その情熱と馬力で、撮影を続行してきた監督。

ならば、ここまで撮影したフィルムを編集して見せてみろという会社側の命令。

この状況をある程度、予測していた黒澤監督には、このための秘策がありました。

実は、監督は、このときまで、ラストの決戦のシーンを1カットも撮っていなかったんですね。

もしこれを中途半端に撮っていたら、このフィルムを使って、不本意のまま、映画を完成させ、公開するといわれることは必至。これだけは、完全主義の黒澤監督としては絶対に承服できなかったというわけです。
「七人の侍」に、ラストの決戦シーンは不可欠。

これがなくては、もちろん映画にはなりません。

黒澤監督は、このラストの決戦だけがない、「七人の侍」を、東宝のオエラ方たちのためだけに、編集をして試写させます。
すでに、季節は2月冬。いまにも、大雪が降り出しそうな頃。

「編集には、1週間はかかります。この間に雪でも降ったら、撮影はさらに遅れて、製作費は膨らみますよ」

これは、黒澤監督の会社側への捨てセリフでした。
さて、運命の試写の後、オエラ型はその足で会議。
彼らは、監督の前に戻ってこう告げます。

「わかった。製作費は出そう。思う存分にやってくれ。」

(http://sukebezizy.typepad.jp/blog/2008/09/part3-a683.html 柿沢謙二ブログより抜粋)
●「七人の侍」で撮影が長引くなかでの話

「千秋実(ちあきみのる)さんや三船さんと賭け始めたの。いつ終わるか。黒澤さんも仲間入れようってんで。
して黒澤さんも仲間入ってね(笑)いつにって黒澤さんも書いたの(笑)“クリスマス”なんて書くの。えっそんな…っていったんですけどね。
それも過ぎましてね(苦笑)僕は三月の桜の咲く頃書いたのね(笑)当たったの!(笑)当たっちゃった。」


●小屋を燃やし野武士を襲うときのシーン

「この日は乾燥注意報が出てたの。だから小屋に火をつけたらたちまち燃えちゃったの。すごい火なの。それでも続けましてね。
(肺の)中に吸っちゃったんですね。熱風を。あとで誰にも言いませんでしたが隠れて病院いって。えらいことになっちゃって、肺が火傷しちゃってたの。」


■豆知識

黒澤の家で同居をしていた土屋嘉男。黒澤が「家来たら毎日ご馳走だよ」って言うから納得した。

同居していて黒澤さんの言葉で印象に残る言葉は

「いいものに接してると悪いものっていうのは相手にしないんだよ」「いいもんはいいもんだ、うまいもんはうまいもんだ」
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。