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椿三十郎

「用心棒」の大ヒットから生まれた黒澤映画の代表作「椿三十朗」。笑いの要素も盛り込んだ痛快娯楽映画です。
この映画が作られたのは昭和37年。TVが普及し、映画人口は急激にに落ち込んでいました。
モノクロ映画では観客の心をつかめないと多くの監督がカラーに移行した時代。そんな時代の中でも黒澤はモノクロにこだわり、その人気も衰えませんでした。
黒澤はカラー導入に慎重ではありましたが、新しい技術には積極的に挑戦する監督でした。
「椿三十朗」では、モノクロの画面では表現しにくい花の色を惹きただせるために「椿の花だけ赤くできないか」いうアイデアを出します。
技術的に難しいと解かると赤い花をすべて墨で黒く塗り、白い椿とのコントラストを惹きただせました。
作品をより印象的に魅せることを考え最大限の努力をした黒澤明。
映画の一部に色を付けるというアイデアは次の「天国と地獄」で実現するのです。
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・白い椿を黒く塗ることでモノクロでも赤く見せた。
・アフレコ時にも役者に衣装と日本刀を身につけさせる。
・椿屋敷の実物の木に2万個の造花を10日がかりで結んだ。
・リハーサルの段階から役者は本物の日本刀を腰に差した。
・黒澤が殺陣シーンのフィルムを編集していると、 あまりにも三船の居合いが速すぎてコマの中に三船が写っていなかった。
・三船vs仲代の決闘シーンを作るに当たって、黒澤は綿密な計算をした。
 血糊が噴出すポンプを仲代達矢の身体に巻きつけたのだが、その際に役者たちには 詳しく説明しなかったという。だから予想もしなかった量の血飛沫に役者たちは驚き、 それが本物の驚きの表情を生み出した。
・血飛沫が噴き出す表現はこの映画以降の殺陣やアクションシーン、 ビデオゲーム等で盛んに模倣されるようになった。
・入場料200円の時代に興行収入約9億円。
・欧米でこの映画が発表された時、決闘シーンで全員が立ち上がって しばらく拍手の嵐が止まなかったという。
●日経の「私の履歴書」で仲代達也椿三十朗の最後の決闘シーン振り返る。

日本映画史上に残るあの壮絶な椿三十郎(三船敏郎)と敵役・室戸半兵衛(仲代達也)の一騎打ちのシーン。彼は1ヶ月前からそのシーンのために真剣で稽古を積んだそうだ。

”台本はこうなっていた。「長い恐ろしい間があって、勝負はギラッと刀が一ぺん光っただけで決まる」。ほかには何の説明もない。一体どんなふうに刀を抜き、斬り合うのか。本番までわからない。
御殿場のロケ地に行って、おやっと思った。予備の衣装が何十枚も積んである。そして着物の下に容器のようなものを付けさせられた。(中略)
 三船さんの居合いは〇・三秒という一瞬の技だった。刃を下にして左手で抜きながら右手の拳を刀のみねに添えて斬り上げたのだ。三船さん自身が思いついた殺陣だった。
 斬られた瞬間、ドスンという衝撃を受け、倒れそうになるのを懸命にこらえた。そばにいた加山雄三、田中邦衛ら若侍たちは、私のからだから血が噴き出したので「事故か」と思った。映画の中の、口を半開きにして青ざめた彼らの表情は演技ではない。”(日本経済新聞「私の履歴書?」仲代達也)
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