-黒澤作品を好きになれる情報や豆知識が満載!-
どですかでん

黒澤明が使った台本には、自分の名前と一緒にあるお願いが書いてありました。
“この台本をお拾ひの方は是非お届けください 黒澤明”(「素晴しき日曜日」の場合)
“いろいろ書込みがあり、紛失すると大変困ります。拾ったら是非、お届け下さい。 黒澤明”(「乱」の場合)
何よりも大切な撮影台本。そこには、撮影のアイデアや絵コンテなど、黒澤の映画に対する情熱が詰め込まれていたのです。

黒澤の初のカラー作品「どですかでん」の台本には当時の黒澤の思いがこう書かれています。
“映画は描くものであって撮るものではない。キャメラという機械を通して人間が消えて行くなら映画が滅亡しいしていくのは自然である。キャメラはキャンバスであり絵具である。美術も照明も同じ!全スタッフ、子供の絵のようにやりたいように描け!!!”

前作「赤ひげ」公開から「どですかでん」の完成までの5年間は、順風満帆というわけではありませんでした。
ハリウッド超大作「虎・虎・虎」無念の監督降板。日本映画界の衰退。
黒澤は状況を打開するすべく立ち上がります。黒澤明、木下恵介(きのしたけいすけ)監督、小林正樹(こばやしまさき)監督、市川崑(いちかわこん)監督と、ともに四騎(よんき)の会を結成。映画界に新風を吹き込もうと映画制作に望んだのです。

山本周五郎の『季節のない街』を原作にした「どですかでん」。黒澤とスタッフはごみ山のガラクタを利用して自由な発想で不思議な町を作りだし、そこに大胆な色を加えました。
それまでの黒澤映画とは一味違う鮮やかな世界。斬新な色彩は登場人物の個性を惹きただせています。

ちなみに70年代入ってからカラー作品と言うのは他の監督と比べるとかなり遅い。※「どですかでん」1970年
監督デビューが一緒で宿命の木下恵介監督が、日本で最初のカラー映画「カルメン故郷に帰る」を撮ったのが1951年ですから19年も後なのです。
■「どですかでん」の時のカラーでの撮影での話。

「(前作までと)神経としてはあんま変わってないんじゃないかな。わりと気を使わなくても出来ましたけどもね。ていうのは、まっとうな家じゃないでしょ。町の中にある変な資材を持ってきてそれに近いものを建ててもね、そう違和感がないんでよね」


※↓に解かりやすいように補足、修正を加えてわかりやすいように書き直しました。

「今回からカラーになったからといって黒澤監督は特に変わってなかったんじゃないかな。私もわりとカラーだからと言って特別気は使わなくてもできました。というのも、登場してくる家はまともな家じゃないでしょ。町の中にある変な資材を持ってきて建てても、違和感がなくできたんです」


■六ちゃんの部屋を飾る無数の電車の絵について

「すぐそばの小学校の生徒にね、描かしたんですよ。あれはね大人が描いてもだめですよ。(大人が)描いたらバレちゃいますよ。」


■二つの夫婦を“赤”と“黄”で分けたのは、後に女と男が入れ替わった時、よく解かるんでそうしたと言っています。