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羅生門

労働争議でもめる東宝から離れた黒澤は、当時大映の重役だった作家川口松太郎(かわぐちまつたろう)に企画を申し込む。
「セットは門がひとつ、塀がひとつ、後は森でロケーション」
安上がりなその企画に乗った川口は出来上がった巨大な羅生門を見て
「黒さんに一杯食わされた」と言ったそうです。

初めの脚本は橋本忍(はしもとしのぶ)が無名時代に書き上げたものだった。それは芥川龍之介の「藪の中」を脚色したもので黒澤を惹きつけるものがありました。
やがて同じ芥川龍之介の「羅生門」を加え、形が整えられます。

四人の登場人物の証言がすべて食い違う、「そうゆうワケがわからないのが人間なのだ」まさにこれこそが黒澤を惹きつけたこの映画のテーマだったのです。


大映の名カメラマン宮川一夫(みやがわかずお)と初めて組んで絵作りに没頭しました。
当時太陽を撮影することはタブーとされていましたが、宮川が木漏れ日を望遠レンズで撮影します。
コントラストの強い画面にするために巨大な鏡をを用意して太陽の反射光で撮影しました。
黒澤はいいます。「カメラは100点、100点以上だ。」

試写を観た大映の永田雅一(ながたまさいち)社長は「なんか ようわからけど高尚な写真やな」と洩らします。
公開された「羅生門」は一部インテリにウケたものの、さほど評価されることなく忘れ去られたかに思えました。が、
翌年「羅生門」はヴェネチア国際映画祭で堂々たるグランプリ(金獅子賞)を受賞します。
この受賞はノーベル賞の湯川秀樹、水泳の古橋広之進と並び戦後の打ちひしがれた日本を勇気づけた出来事として、今も語られます。

黒澤は当時不評が続き窮地に立たされていました。しかしこの時から黒澤にはゆるぎない名前が付け加えられます。
それこそが「世界のクロサワ」と言う称号なのです。
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