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デルス・ウザーラ
あらたな思いで挑んだ「どですかでん」(前作)は興行的に振るわず、黒澤は苦境に立たされます。次回作が撮れない状況で黒澤は、自殺未遂事件を起こすほど追い詰められていました。
そんな彼に、救いの手を差し伸べたのは当時のソ連でした。黒澤はソ連でも名監督して尊敬されていたのです。
こうして黒澤は30年間暖めていた「デルス・ウザーラ」を映画化します。

この作品では、シベリアの大地に生きる猟師デルス・ウザーラと探検家アルセーニエフとの友情が描かれます。黒澤を魅了したのはデルス・ウザーラの生き方でした。デルスには文明社会が失なった自然と共生する知恵があります。

ソ連に同行した日本人スタッフはわずか5人。長年黒澤映画を支えた野上照代(のがみてるよ)は、エコノミーで11時間かけてソ連に向かった黒澤の姿に「もうあとへはひけない、石にかじりついても」という、固い決意を感じます。

ソ連では撮影スタッフ70人。サポートの兵隊30人という一見恵まれた環境が用意されていました。しかし、撮影は困難を極めます。
苦労して撮影した場面でも、70㎜フィルムの状態が悪くもう一度その場面を撮りなおさなければなりません。
密林では蚊とダニにも悩まされます。シベリアロケの食事は軍隊の炊事班が作り、毎日、毎日、同じものが出ました。
仕上げ作業を入れると一年半黒澤はソ連で映画を作り続けました。

そのとき愛用した帽子をその後、黒澤はかぶり続けます。
「あれをかぶっていればデルスの頃を思い出し、どんな事だって出来るという気になる」
と語る。
困難を乗り越えた黒澤を待っていたのは、アカデミー外国映画賞という世界的な賞賛でした。
デルス・ウザーラは黒澤復活を告げる作品となったのです。
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